お前が知る必要のないこと(笠黄)


※モブ女が複数います




キーンコーンカーンコーン…と聞き慣れたチャイムが鳴り、午前中の授業が終ると黄瀬は机の上に広げていた教科書達をいそいそと片付けて、机の横に掛けていたカバンを持って椅子から立ち上がった。
そして弁当箱の包みやコンビニの袋を持った女の子達に捕まる前に、今日も教室を飛び出す。

ファンの女の子達には悪いけれど、相手をするのは10分休みの間だけでどうにか勘弁して欲しい。
ゆきちゃんがいる海常高校にいる間だけは、モデルの黄瀬 涼太じゃなく、16歳の普通の男子高校生でいたい。我が儘を言っているのは分かっているけれど、それでもゆきちゃんが俺の作り笑いより、素の笑顔の方が好きだと言ってくれるから。

階段を駆け下り、ドキドキと… 廊下を走るのとは別にここ数週間で見慣れてきたバスケ部の部室を視界におさめて鼓動が早まる。

「そういえばセンパイ、今日は体育があるって朝言ってたけどもういるかな?」

走る速度を緩め、やや乱れた呼吸を整える。部室の扉の前に立った黄瀬は念の為、コンコンと扉を二度ほどノックした。すると、中から笠松のいらえが返り、森山と小堀の声も聞こえる。

「おー、開いてるから入って来いよ」

「ん?黄瀬が来たのか?」

「早川と中村は今日は教室で食べるって言ってたからそうじゃない?」

ただの高校生な黄瀬を受け入れてくれる声に黄瀬は頬を緩めて、失礼しますっス!と言いながら部室の扉を開けた。

「早いな、お前。ちゃんと授業受けてきたのか?」

笠松達はちょうど着替えが終わったところなのか、水色のワイシャツに青いブレザー、スラックスとネクタイはブレザーのポケットに突っ込んだ格好で、脱いだジャージをロッカーにしまっているところだった。
黄瀬はその横で普段は隅に避けられている机をガタガタと動かし、向かい合わせにくっつけてご飯を食べる用意をする。

「ちゃんと授業受けてから来てるっスよ。じゃなきゃセンパイ怒るじゃないっスか」

うん、嘘はついていない。ただ、受けてはいるが、終わりが近づくにつれ意識は昼休みにほとんどとんでしまっているだけだ。
心の内はそっと隠して、黄瀬は疚しいことは何もないと笠松に胸を張って返した。

パタリとロッカーの扉を閉めた小堀が弁当箱を持って黄瀬の隣の席に座り、その正面にビニール袋を提げた森山。黄瀬の向かい側には笠松が紺色の弁当箱の包みを持って席に着く。
笠松の隣の席も魅力的だが、正面の席の方が笠松の顔を不自然なく眺めていられるし、顔を見て話しやすい。
自然と決まった席順に黄瀬は文句もなく、にこにこと頬を緩めたまま弁当箱の包みを解いた。

「あれ?森山、今日は弁当じゃないんだ?」

「ん?あぁ…朝、コンビニ寄って買って来た。って、そうだ!聞いてくれ!そこのコンビニ店員の女の子が可愛くてさ」

「森山センパイも飽きないっていうか、懲りないっスねー」

「ほっとけ。無駄に関わるとお前も巻き込まれるぞ。お、美味そうな玉子焼きだな」

「これっスか?今日の自信作っス!…食べます?センパイ」

自分の弁当箱から玉子焼きをひと切れ箸で摘まみ上げ、良いのか?と聞いてきた笠松に黄瀬は笑顔で頷き返す。

「良いっスよ。はい、センパイ、どうぞ」

笠松の弁当箱の上を飛び越えて、箸ごと差し出された玉子焼きに笠松はちょっとだけ前に身を乗り出す。玉子焼きが落下してしまう前にぱくりと己の口腔へと納めた。

「どうっスか?甘めにしてあるんスけど」

箸を引っ込めた黄瀬は自信作だと言いながら笠松の反応を窺うように待っている。それに笠松はふっと眼差しを和らげると黄瀬が待っている言葉を口にした。

「ん、うまい」

その一言で黄瀬の表情が嬉しげにふにゃりと崩れる。

「俺が作ったんじゃねぇけど、カニかま入りの玉子焼き一個やるよ」

ほらと今度は逆に笠松から差し出された玉子焼きを黄瀬があーんと口を開けてぱくりと食べる。
つられるようにして笑った笠松の隣で、女の子の話をしていた森山がげんなりとした顔でサンドイッチを口に運ぶ。

「お前らなぁ…、それは可愛い女の子がやるからこそ良いんだろが。ナチュラルにいちゃつくな」

「はぁ?何言ってんだお前。誰もいちゃついてなんかねぇよ」

「無意識か?無意識なのか?」

「森山センパイって結構ロマンチストっスよね。もしかして女の子にメールとかで呼び出されるより、手紙とかで呼び出される方が好きだったりするんスか?」

「そりゃぁ…手書きの方が心が籠ってる感じがして嬉しいじゃないか。でも、女の子からの呼び出しならどっちでも良いな!」

「あ…そっスか」

「何度も言うがこいつの話には真面目に付き合わなくていいぞ、黄瀬」

「笠松が酷い!そう思わないか小堀!」

「うーん…、森山には森山だけを見てくれる好い人がその内現れるよきっと」

右手に持った箸を一旦止めて、話を振られた小堀は森山に向かって苦笑気味に返す。すると森山は更に大袈裟に嘆くように肩を落として、片手に持ったサンドイッチをやけ食いし始めた。

「何で振られてもいないのに俺は慰められるんだ…!」

「あっ、ごめん。つい…」

「小堀、流石にそれは…」

「小堀センパイ…」

どんな些細な話でもわいわいと盛り上がったり、結局バスケの話に終始していたりしても、笠松を始めとした先輩達と過ごす昼休みはとても楽しくて黄瀬にとっては部活の次に好きな時間だった。






「笠松先輩、ですよね?ちょっとお話良いですか?」

森山と小堀と、いつものように昼飯を部室で食べようと部室に向かって歩いていた笠松は目の前に現れた一学年下の上履きの色を示す女子生徒の存在に一瞬身体を強張らせた。
それにいち早く気付いた女の子好きの森山が珍しくその女子生徒をナンパもせずに、隣で足を止めた笠松を真剣な表情でちらりとみやる。

「おい、笠松」

「大丈夫か?」

同じ様に小堀も心配そうに笠松に小声で話しかける。
女子生徒の纏う雰囲気はどうにも穏やかじゃない。到底、笠松に告白という甘い雰囲気でもなかった。
どちらかと言えば女子生徒は笠松を敵視しているような、刺々しさを含んだ眼差しで笠松を見ていた。

そして、いつもなら女子を前にすると緊張してあまり話せなくなる笠松もこの時は少し様子が違った。
数回深呼吸をして、強張った身体から無駄に入っていた力を抜くと冷静な眼差しで女子生徒を見返した。

「で、俺に話って何だ?」

女子生徒を相手に口を開いた笠松に森山と小堀はえっ、と声を漏らす。
それを失礼な奴だなと思いつつ、笠松には女子生徒が何を言いに来たのかおおよそ分かっていた。いずれ来るだろうとは予想していた。それに自分が対峙しなければならないことも笠松は分かっていた。

現に女子生徒は森山と小堀をちらりと見て、ここでは話せないと言う。

「森山、小堀。先に部室行っててくれ。あと悪いけどこれ持ってといてくれ」

言いながら笠松は弁当箱の包みを小堀に手渡す。

「でも、笠松…」

大丈夫なのかと心配してくる小堀に笠松は平気だからと返して、再度二人に先に部室に行くよう促す。

「…分かった。お前も早く来いよ」

躊躇う小堀とは逆に森山はあっさりと笠松の言葉に頷き返し、小堀の背中を押して廊下を歩き出す。
二人が去って行くのを見て、女子生徒は廊下を見回し、少し場所を移動しましょうと笠松を連れて人気の少ない第一美術室に向かった。

「ちょっと、森山!お前は笠松が心配じゃな…」

「心配に決まってるだろう。ただでさえ笠松は女子が苦手なんだ」

部室へと向かったはずの小堀と森山は廊下の角を曲がって直ぐにその足を止めていた。
笠松は森山にとっても親友だ。そうだ、心配しないわけがない。
自分の失言に気付いた小堀が謝るより先に森山がだからと、言葉を続けた。

「部室には俺が行くから、お前は隠れて笠松を追え。それで何かやばそうだったらお前が割って入れ」

「俺が?」

「そうだ。何かあったとしてもお前なら俺より皆の信用度も高い。なにより、部室に行って黄瀬達が来たら、お前嘘吐けるか?」

アイツら絶対、笠松先輩は?って聞いて来るぞ。まぁそれだけ笠松は後輩達に慕われてるってことだけど。

「その時に嘘吐けるか?お前は笠松と同じクラスだから、授業が長引いてるんじゃないのか?なんて言えないだろ」

「…確かに。分かった。森山、頼む」

「おぅ、そっちは頼むぞ小堀」

二人はその場で一旦別れた。







第一美術室の中に入ろうとした女子生徒の後ろ姿に笠松は美術室に入る手前で足を止めて、その背中に声をかけた。

「廊下でいいだろ。この辺なら誰も来ねぇし、もし誰かさんに姿を見られたくないならお前達はそこにいればいい」

既に用件は分かっていると言う笠松の態度に女子生徒が笠松を睨み付けるようにして振り返る。

「随分、偉そうな言い方ですね。そうやって黄瀬くんにも言ったんですか?」

「先輩だからって黄瀬くんに命令してんじゃないの?」

「最近、黄瀬くんの付き合いが悪くなったのは貴方達のせいよ!昼休みだって、先輩達と食べるからって断られたのよ!それも何回も!」

第一美術室の中には笠松の苦手とする女子生徒が他にも数人いた。
上履きの色を見るからに皆、笠松より下の二年か一年だ。

「それにキセリョはモデルなのよ?それなのに蹴ったり叩いたりするなんて。部活だからって許されると思ってるの?」

「バスケ部のキャプテンだか知らないけど、信じられない!」

三年の女子達はどちらかと言うとバスケ部の三年達になついている黄瀬を見るのは可愛いと思っているし、笠松達がいれば黄瀬が自ら三年の所に来ることもあるので特に文句や不満を抱いている者も少ない。笠松のシバきにしても、単に暴力ではないと真剣に部活に打ち込む三年生達はよく理解している。

問題は…黄瀬が間近にいて、尚且つ笑いかけられれば、それが営業用の笑顔だとしても、お近づきになれるかもと淡い期待を抱いてしまう初々しい一年生達だ。例え部活に入部していたとしても、まだまだ部活は面白くないだろうし、先輩が煩わしいと思う時期でもあるだろう。

二年生はまた別に、キセリョ格好良い!と、雑誌で見たままの黄瀬に憧れや好意を抱き、一つ上の先輩という立場を利用し、親切なふりで新入生の黄瀬と親しくなろうとする。部活については二年次でリタイアする者も少なくはない。ただし、スポーツ推薦で入学した者は当然ながら退部することは出来ないが。…部活のことまで口にした目の前の女子生徒達は二年次に部活をリタイアした口だろう。
そんなことにはまったく興味はないが。
故に黄瀬がどれだけ真剣に部活に取り組んでいるのか分からないのだろう。

−−結局のところ、どちらも黄瀬自身を見てはいないのだ。
だから黄瀬本人がどう思うっていようとお構い無しに、こうして笠松に文句を言いに来たのだ。黄瀬を自分達の理想通りにしたいが為に。

「…見解の相違だな。俺が今ここで何を言っても意味はないと思うが」

それまで黙って話を聞いていた笠松は馬鹿馬鹿しいと唇を歪め、呼びに来た目の前の女子生徒をひたりと見据えた。
すると女子生徒は笠松の鋭い眼差しにびくりと肩を跳ねさせる。

「俺は黄瀬に昼休み来いって命令した覚えはない。そもそも黄瀬は黙って先輩に従うような従順な奴じゃない」

「なっ、そんなの!分からないじゃない!本当は黄瀬くんだって嫌々、先輩達に言われたから…!」

「黄瀬からしたらアンタだって先輩だろ。その黄瀬がアンタの言葉に従ったことがあるのか?」

ぐっと女子生徒は言葉に詰まって、でもでもと何かを閃いたように口を開く。

「それは貴方がバスケ部のキャプテンだから仕方なく!きっと、そうよ!」

数分前に自分達が言った台詞を忘れているかのような苦し紛れの言い訳に笠松は相手をするのも時間の無駄だったかと思う。

「それこそありえねぇだろ。自分をシバくキャプテンの言うことを部活以外で黄瀬が大人しく聞き入れるとでも?」

「−−っ」

「それからあと一つ。俺がシバいてんのはモデルのキセリョじゃなくて、海常バスケ部一年の黄瀬 涼太だ。キャプテンが一部員をシバくのに何か文句あんのか?」

声を荒らげるでもなく堂々とした態度できっぱりと言いきられ、女子生徒達は反論の言葉を見つけられずに悔しそうに顔を歪めて笠松を睨み付けた。
それでも我慢ならずに笠松の目の前にいた女子生徒は衝動のままに右手を振り上げる。

「なによっ!アンタなんかに私達の気持ちは分からないわよ!」

「っ、笠松!」

甲高い声に、廊下から別の声が重なる。
笠松はただその場から一歩後ろに下がり、女子生徒の振り上げた右手は虚しく空を切った。

「小堀…?どうしてお前」

「笠松が心配だったから」

厳しい表情を浮かべた小堀の視線がちらりと第一美術室の中に向く。

「話は終わったみたいだし、早くしないと昼休みが終わっちゃうよ」

笠松も第一美術室の中へと視線を戻し、第三者の存在に狼狽えだした女子生徒達へ向けて口を開く。

「もう行ってもいいか?」

声も出さずに女子生徒達がこくこくと頷き返したのを見て、笠松は第一美術室に背を向けた。

「心配かけて悪かったな、小堀」

「本当だよ。…はい、笠松の弁当」

笠松は小堀と並んで何事もなかったかのようにその足で部室へと向かった。




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